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骨董鑑定眼 青山二郎著 ランティエ叢書

この本の題名をみたとき、
「なんて大それた題名なんだ」
と文句を言いたくなった。著者を見ると青山二郎氏。
青山二郎氏の本ならひとつ読んでみようと思って、レジに向かった。

青山氏の交遊録のなかに良く出てくるのが小林秀雄、白洲正子(敬称略)。
白洲氏、小林氏の本のなかにも青山氏が良くでてくる。それだけ仲も良かったのだろうが、両氏ともに共通しているのは、青山氏の文章は読みにくいとある。

本を読み始めて思った。「終いまできちんと読むには根気がいる」
買った当初は、途中で疲れて読み通さなかった。
私が本を読むときは、文体のリズムが自分に合わないと途中で止めてしまうことがある。
失敗した。久しぶりに疲れる本を買ってしまったと放り出してあった。
しかし、ある時に待ち時間をもてあますので本をいくつか持っていき、その中はこの本が入っていた。
もう一度読んでみる。
読みにくい文章に変わりがないが、何故読みにくいか分かった。著者は一つ一つの言葉が鋭すぎるために、文章全体がぎとぎとしている。
言いたいことが文章の長さの大半を占めているからだ。
上手い絵画と美しい絵画の違いがあるように、著者の力がそこにみなぎっている。
要するに、長文に向いていないのではないかと思う。
一つ一つの言い回しは鋭いのに、それが文になると全部に力がはいりすぎて、全部を読む側は疲れてしまう。
そういえば、青山氏の絵にも共通するところがあるような気がする。
白洲氏が「彼の絵には風が吹いていない」
と青山氏にいっことがあったという。
絵は上手くて完璧。しかし、そこに抑揚らしきものがみあたらず、すべて「揚」になってしまったのでは・・と想像するのである。同じ時代に生まれていないし、縁があるわけでもないので、なんとも云えないが、今となっては人物像を想像するだけだ。
そんな青山氏の文章にはっとする突っ込んだ表現がいくつも見られる。
一つ一つ書いているときりがないから、主だったものを挙げてみると、

==だから贋物くらいにおどかされて自分を喪う程、そんな虚栄心は私にはありません。知らない物は知らない、分からないものは分からない、詰まらないものは詰まらないで沢山ではありませんか。ただいくつになっても自分に話しかけてドキンとするのが年の功の楽しみなんです。==

自分を喪う
確かに贋物を恐れるのは皆同じ。
ただ、自分が好きであるかないか。そこで贋物を選んで好きなら仕方がないが、言葉で買ってしまった贋物は目も当てられない。
そこには欲があるからで、自分を見失っている。

自分に話しかけてドキン
鑑賞する、「好き」を楽しむことを忘れて、頭で買おうとしても詰まらないものしか集まらない。

この一文から、このように読んでしまった。
矢張り、鑑賞と鑑定は違うし、肝心な「ドキン」を忘れてしまったら、本物も見えなくなるのではないだろうか。
関連して、鑑賞と鑑定のにも触れている。

==本物か贋物か、それだけしか分からない人間は確かに多い。そういう人間のことを、私達は鑑賞家に対して特に「鑑定家」と呼んでいる風がある。==

確かに鑑賞することと鑑定することは違う。
筆者もこの区別をはっきり持っている。「それだけしか分からない」詰まらない人々、という風に読んでしまう。
確かに真贋・うんちくばかり並べている文章などにはうんざりする。互いに骨董仲間同士で話す際にも値段とそこばかりに重点がいき、肝心の「楽しみ」がない会話ほど詰まらないものはない。
相場・真贋・うんちくなどは、くそくらえと思うことが多く、時に必要なこともあるかもしれないが、ある程度まで知っていれば、あとは「楽しみ」を味わうものだ。

==一流の骨董商で物を買うのが一番安いのである。==

ものを買うときに、多少の相場観はあれど、良い品物・感動する品物を選んでくる力が一流の骨董商にはある。(筆者は極限られた5本の指で数えるほどの骨董商と書いている。)
一流の骨董商というのはただ店が大きいというのではなく、信頼されて、真物を扱う間違いの無い店で、魅力のあるものを扱えるセンスの良い店ということである。
敷居が高いとかなんとか聞くこともあるが、そんなことを気にするようでは良いものは知ることもできず、買うこともできない。
相手も本当に好きな客を自然と選出したくて、そのような店構えにするのだろう。
鑑賞したり弄ったりすることを忘れ、違う目的(転売など)で買うなどの楽しみ方もあるだろうが、そういう買い方は一流の骨董商から買うに向いていない。
損得に限らず美しいものを求めたいという純粋な気持ちが、良いものを骨董商に選ばせ、結果的に安い買い物になると読める。
他にも多数、挙げたい言葉や表現もあるが、要するに周りの言葉や欲に翻弄されて、自分の本来の楽しみを忘れることほど詰まらない鑑賞・蒐集はないと、あらゆる事柄から読み解いている面白い本だ。
しかし、前に書いたように一気に全部読もうとするとリズムがつかみにくいので、短文や節を少しずつ読むのがこの本の読み方なのかもしれない。
「感覚の人」と言われた青山氏を感じることができる本だったと思う。

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