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せこい根性(下)

やっと手に入れた椀。あれこれ眺めて確かにそのものだが、「こんなもんだったっけ?」と思う。
珍しくて貴重だとかということは頭から離れ、値段相応のものなのかと思い、引き出しの奥にしまった。手に入れただけで気が済んだのだ。
そんなやりとりがあっても、何か他のものを買いたいなどと思い、その店に行く。
今度は店主が、
「黒、たみこさん好みでしょう」
といって、黒高麗だという徳利を指をさして言った。
「黒高麗なのですか?」
というとそうだといい、何故か黒高麗でなく黒・黒と言っている。
見せてもらったが、他のガラスケースの中の徳利は綺麗に洗浄されて並んでいるのに対し、
「味わいが大切だからね」
と、あまり綺麗になっていないことを説明される。
なるほど、何だか話しているうちに欲しくなり、いつもの数万円よりは高かったが買うことにした。
家に帰り、味わいといえども水洗いくらいはと、水道の栓をひねる。
黒かったボディがだんだんと赤いレンガ色のような肌へと変わってゆく。
中と外にびっしりと泥のようなものがくっついており、中から泥の固まりがドクッ、ドクッと出てくる。
「????????」
そして、口に直しがあり、その部分が剥がれそうになっている。
中から泥が出たので、店での重量感と一変、軽くなる。
店で欲しいと思った姿と、水洗いした姿には随分と差があった。
これはまずい、すぐに電話しなければ。
そのとき、閉店時間を過ぎていた。電話は翌日にすることにしたので、夜に本をひっくり返して、わからないなりに調べることにした。
大きなカラーの本で真贋を書いた本があった。そこにでている写真と手に持っているものを比べたりしてブツブツ悩む。
しかし本の写真は鮮明でない上、その本に乗っている「本物」も何処がいいのか、良く分からない。そんなときに本に顔を近づけてみても、余計分からない。
とにかく、明日、完品で買ったのが疵があったのを理由に戻せばいい・・・。
そのうち、今まで買ったものも全部怪しいものに見えてきた。
最初に買った白磁の台鉢はなんとか、本物のようにもみえる。
そのあとの高麗青磁、やっとの思いで手に入れた李朝青磁(?)だという椀、今度の黒高麗・・。
もういっそのこと、徳利を戻すことを理由にタダに近い値段 でもいいからひきとってもらおう、と思い立った。もちろん出きるかどうかは分からないが、持参する準備をして床についた。

翌日、電話を入れてから店に行った。
「あら〜、疵があったんだ。気が付かないで済まなかったね〜。」
「はい、返品させてください」
「そう?わかった。翌日の返品だから全額お返しするよ、本当に悪かったね。」
「・・・・」
相手がどういう態度に出るのか、黙って様子を伺う。
何も言わないと、向こうが勝手にペラペラとしゃべる。
「水洗いしたのですが・・・」
というと、全く様子の変わった徳利に驚きもせずニコニコしながら、
「でも随分綺麗になったね。有り難うね」
心には思っていないような口振りだ。きっと何を言っても認めないだろうとそこで確信した。もっとも中から泥が沢山でてきて、水は真っ黒だった話など、ばかばかしくてしなかった。
他に持っている荷物を握りしめ、いつ切りだそうかと機会をうかがう。
どうしようか、相手のペースに呑まれてしまわないうちに、言ってしまえ。
「それと・・」
「いままで戴いたものなんですが、台鉢以外は全てお引き取りいただけますか?」
「え?全部??参ったな。んじゃ〜手数料いただいて返金するよ」
「はい・・・」
以外とあっさり返金に応じてくれた。今まで全身に入っていた力がぬけた。
手数料3割。少々だが助かった。そうと決まったら、事務的に事を済ませて早々に立ち去ろう。
真贋に関して触れるのは絶対にいけない気がしたので、「気に入らない」ということにした。
相手のほうが上手で、「私は本物だと思う」で押し切られたのではないかと初心者ながらに想像したからだ。
今でもそこで手に入れたものの感触が手に残っているので、思い出しながら考えてみると、

最初に買った李朝初期白磁祭器(これは家にまだある)は、李朝末期民窯の台鉢。

その次に買った高麗青磁の椀は、確かに高麗青磁かもしれないが、カセがひどすぎて「かろうじて高麗青磁」といった評価のもの。

李朝青磁(?)の椀は、東南アジア系のもの。よく似た感じのものを骨董市のアジアのやきものの中に見つけることがある。


黒高麗の徳利は、黒高麗からはかけ離れた品物で、何処かも分からないもの。

「安く手に入れられるもの」と思っていることを見透かされて、価格帯も少々買いやすくて中途半端なものがたみこ向けとして用意され、短期間ではあったものの、買い続けていた。
実はその間、東京美術倶楽部のイベントなどにも出かけていたため、「なんか、買ったものと違うなあ」と思い始めていた。

残念ながらその店は今ではテナントビルから撤退した様子で、HP も閉じてしまい、何処で商売をされているのかもわからない。
結局この話は、買う側も売る側も せこい根性 丸出しというお粗末な話でもある。

…完…


◆間違ったポイント◆

価格とブランドにとらわれすぎていて、
本当に欲しいかどうかも見失っている。

値頃、手頃と追いかけてしまっている。

◆学習したこと◆

店主のいう、他の店の悪口、コレクターの悪口を業界の裏話と思って、面白くきいている。
→本当によい店は他の悪口を言わない。

言葉で買うのではなく、物の魅力を見なくてはならない。

せこい根性(中)

次に店に行くと、
「お〜、あなたにピッタリのを仕入れておいたよ」
手頃な値段で戴くのが習慣になり、私でも李朝や高麗青磁が手に入るのだと嬉しく通った。
韓国に直接仕入れに行くからリーズナブルなのだ、○○で○月から講座を開く、○○さんという有名なコレクターが来てコレクションを見せてもらったが、1つを覗いて全部贋物だった、南青山の○○さんは李朝を扱っているがみんなニセモノだ、伊万里なんて骨董じゃない、いつでも買えるからやめちまえ、李朝は恐いからうちで買うようになどなど、聞かされるうちにすっかりその店しか行かなくなった。

あるとき、店に行くと私向けにと李朝青磁(?)だという椀を見せられた。
「珍しいんだ、なかなかないんだよ」
という。値段を訊くと、いつものように数万円のものだ。
「今週末にとりに来ます」
2〜3日のことだから、銀行から引き出してすぐに取りに行こうと思っていた。
次の日に気になったので一応電話で確認しようと思い、
「今週末楽しみにしてます」
しつこいと思ったが、そういうと、
「あ、あれ!御世話になっている業者の人に売ってしまった」
という。
何と言うことだ。ちゃんと売約をしたものを売ってしまうとは!
余計ムキになった。
「ちょ、ちょっと!買うっていったものを業者の人の売るなんてどういうことですか!」
と怒鳴ってみせた。
「いや〜、悪いね。又買ってくるから。」
骨董に同じ物はないということくらいは知っているから、
そんな風に約束を破られたことを素直に承知するわけがない。
余計頭にきたので、
「そんなことするなら、もう伺いません。いつも楽しみにしていたのに」
「そんなこと言わないでよ」
「がっかりしました。失礼します」
電話を一旦切った。
しかし、シャクだ。
仕事の帰りに急いで帰り支度をして店に向かうことにした。
テナントになっているので、その店を通り越して向こう側にも沢山お店が並んでいる。
店の前を通り過ぎようとすると、中にお客がいるようだった。
店主はこちらに気が付いたが、わざとにらみつけて他の店へ行った。
他の店も見終わって、李朝の店へ戻った。
客はおらず、さきほどのにらみが効いたのか、
「いらっしゃい」
いつもの自信にみちた大きな体から、一転小さく見える。
「ごめんね〜」
「・・・・・」
あれこれ言い訳を言っているがこちらは聞いていない。
「業者さんなんでしょ?返品してもらうわけにいかないのですか?」
というと、
「ん〜、でも同じ値段にならないかもしれないなあ」
という、こちらも引き下がらなかった。
翌日連絡するということで、その日は帰った。
翌日連絡すると相手の業者さんは箱も用意して、綺麗に洗浄したので、手間賃がかかっている。1万円ほど載せろと言ってきたらしい。
そんな馬鹿なわけはない。陶磁器をちょっと漂白剤につけて、ボロボロの箱を付けたからといって、一万円なんて・・!といって手間賃は5千円ということにして、もらってきた。
(下)へつづく


せこい根性(上)

李朝に興味を持ちだしたのは、一つの白磁の壺を買ってからだった。李朝の壺としては出来が悪いが、愛嬌のある壺で、以前HPにも掲載したことがある。
吸い付くような手触りや、鈍い光沢が気に入った。
李朝といえば、本でも何処でも「難しい」やきものとして書いてあり、何処かに失敗談が書いてあるのを読む機会も多い。
「ふ〜ん」と思いながら、「自分は失敗しないぞ」と思う。

一つ手に入れると、そのほかのものも見てみたいと思う気持ちを抑えられず、ひょこひょこと出かけていく。
白磁の壺を買った店は、買った一点とその他一点しか無かったため、どうしても他のものも見たい。
東京には沢山のお店があるが、何処に入っていいかわからないまま、骨董屋さんがテナントで沢山入っているビルの一角に李朝らしきやきものが並んでいる店を見つけ、す〜っと入っていった。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは、みせてください」
焼き物が入っているガラスケースをじっと見る。
店内の一番奥に設置してあるそれは、一つ一つ魅力的に写るものだった。
「どうぞ、手にとってみてください」
気になった物を幾つか出してもらおうと思ったが、内心、高いのだろうな〜、と心配になる。
徳利が間隔をあけて数点、染め付けの大皿が1点、鶏龍山の壺が一点〜と、今考えたら、信じられない名品ばかりだ。
とても取っつきの良い感じの店主で、
「李朝は一つ買っただけなんです」
というと、懇切丁寧に色々教えてくれた。
価格帯も数十万単位のものが多く、当時数万円〜10万円程度の骨董予算の乏しい私は、
「買えるものがなさそう」
というと、
「ボクはあまり好きでないのだけど」
といいながら、李朝の祭器で使われていた台鉢を差し出した。
「これはね、初期のものなんだ」
初期か!初期なら古いんだ!日本の室町時代くらいだものなー。


(参考)大阪東洋陶磁美術館資料:年表
http://www.moco.or.jp/jp/intro/intro_2/chrono/chrono.html



などと、ちょっと嬉しくなる。古いというだけで、本当にそれが綺麗かどうか・・・ということはあまり考えていなかった。
でも一つ李朝が手に入る・・という嬉しさで、
「幾らですか」
と聞くと、
「○万円です」
と予算の範囲のことを言う。
すぐに包んでもらい、ワクワクうちに持ち帰った。
古いかどうかは、店の人の言った通り信じていた。
ものも確かなもののようだった。
良い本物を買えたと喜び、その店に3日に一度は顔を出すようになった。

(中)へつづく

織部徳利(見立)

いつかは織部が欲しい。あこがれの陶器の一つだった。織部は古田織部の生きていた時代、作の影響がたっぷりのこっているものが王道で、本当に好きな人は窯の作風まで拘る。
そんなことは未だ分からないときだった。
染付や磁器の器ばかりが多くなり、土味のあるものが欲しいが、石皿や絵瀬戸もいいが、ちょっと色の入った陶器もいい。
あちこちで織部釉のかかったものを見るが、欲しいと思えるものもなかなかないし、並んでいてもほんの少しだけで磁器のように選べるほど沢山並んでいたりしないので、なかなか探すのが大変だ。
そのうち、時々行く店で小さな箱から出てきた小さな徳利型のものを見せてもらった。
形状が可愛らしく、絵に力がないが雰囲気が良い。
値段も20〜30万というので手頃だ。悪い癖で、すぐに
「買います」
といってしまった。
代金を調達するまでに、少々時間がかかったが、金額を揃えて店に取りに行った。
包んでいただいて、家に着いた。
早速あける。可愛らしいものがそこにはいた。
なるほど、これが織部か。あちこちのぞいてみたりひっくり返してみたりする。
上部からのぞき込んだところ、違和感に気が付いた。
まん丸なのだ。何度も覗いた。あれ? 良くルーペでみると、ろくろ目が途中で機械的な刃物で加工したように、スパッとまん丸なのである。
徳利に見立てるために、余分に垂れて出が悪かった器をジョリッと加工したのだ。
そうなると、全部が冷めてしまってくる。
良くみると、箱も変だ。織部と古い紙が貼ってあった箱はペロリと古い紙がとれると、「備前」と書いてあり箱も寸法が詰めるように切られている。
気分が一気に悪くなり、すぐに店に電話をかけた。
「すぐに伺いたいのですが」
誠意のある、店主のこと。すぐに対応してくれたが、
わたしが疑問点をいうと、箱のことは認めてくれたが、加工の面は全くわからないという。
うそでしょ?プロなのに・・。と思ったが、ぐっとこらえて店主から出てくる言葉を聞いて、ガッカリしてしまった。
「わたしにはそのようには全く見えません。気に入らないということで、返品するということですね?わかりました。」
買って、一日二日ということだったが、どうも後味の悪い買い物だった。
その後、美濃ものに強いお店と出会った。
いろんな美濃ものを見せてもらううちに、焦って「一つ欲しい」と思わずに、じっくり気に入った絵のもの、形のものを見つけようと改めて思うことができ、今はすっきりしたものである。

◆間違いのポイント◆

観察不足(良くみていない)

店主に頼りきった買い物


◆教訓◆

店での買い物なのだから、じっくり見るべき

気が付いたらすぐに対応し、相手の気持ちを考えながら話すようにする。

焦って欲しがらないこと



ネットオークション事始め(1)

今から、数年前のこと。日常食器は気に入ったものが欲しいと思って骨董に興味を持ち、江戸時代の伊万里染め付けを集め始めた。最初は疵でも2〜3客でもと集めていくうち、5客揃ったスタイルに拘り始める。すると購入金額がぐんと上がり、いくつもは買えない。
欲しくて夢中な上に、本でも、家でも、お店でもいつも見ていたい。白地に青のその器のことをもっと知りたい。
骨董屋さんまわりも、図録・本の勉強でも足りない。落ち着かない私は、普段メールや調べ物にしか使わないパソコンに目をむけた。
ネットオークションがあるというのは知っていたが、初心者には恐い世界で、余ほど見分ける力がないと、難しいと聞く。
実際に手にとらないで、器を買う。ちょっと難しそうだが、どんなものか覗いてみよう、とネットオークションの画面をひらいた。
参加料無料だし、一応登録。暫く画面を眺めていた。伊万里/染付の欄でもかなりの数。雑誌や本もいいが、ネットで眺められるのも楽しい。
すると、幾つかに一つはどうもそのジャンルにそぐわないものが混ざっていることが良くわかった。写真でみるかぎり新しいものに見えるものでも、蔵からでてきたとか、おじいさんのものだとか、いろんな理由や文章がくっついていたり、わざと汚したような感じの雰囲気だったり、はたまたわざわざボロボロの古い箱を合わせ箱にしていたり。素人でも、少々知っていれば分かりそうなものだ。写真がぼやけているのも何だか怪しい。
なるほど、こういうものを買ってはいけないのだな、と分かったような気がしてきた。自分で分かる範囲ならやってみるのも面白い。では入札してみよう。
骨董店には毎日のように通い、多少のウンチクなどを覚えたつもりになっていた私は、まだ正しくないものを買った経験があまり無く、恐い物なしだ。
そして、幾つかのものを週に2〜3度のペースでポンポン落札していった。
写真と印象の違うものなどもあったが、そういうリスクは承知で参加しているから、少々のことは気にしなかった。
しかし、幾つか落札していくうちに、今までお店で買ったものと一緒に食卓に並べても「浮く」ものが出てきた。
でも、はっきりとした理由が分からない。正しいかどうかもわからない。
詳しい人に訊こうと、疑問のあるものを幾つか見てもらうことにした。
結果、ほとんどがダメだ。疑問が残るが正しいのではないだろうか、と思うものも正しく無かったため、かなりショックだった。
そのときに、正しいものについてもよく教えてもらった。

話を聞いている最中は顔にださないようにした。悔しい思いを顔や態度に出したくない。
「そうですか、よく分かりました。ありがとうございました。」 帰り道、「なんでこんな思いをしなければならないの?」と思って悔し涙が出そうだった。 ネットの登録はすぐに削除。当たり前だ。
ショックと悔しさで頭がいっぱいだ。
今から思うと、時間が経つにつれて、未熟さと甘さを思い知らせてもらえたので、感謝しなければならないのに、悔しかった。経験が少ないなりに、どこかに自信があったからだ。

少々欲がでて参加したネットオークション。
多少安く買えたものもあるとは思うが、途中で振り返らなければ気が付かずに間違ったものを正しいと思い込んでしまう方向に行っていたかもしれない。
ものがあまり分からないうちは、骨董店などでものを勉強することが先決だとしみじみ思う。
しかも、「正しいかもしれない」というボーダーラインのものではなく、きちんと「本歌」だと言える物を最初から選べば良いのだから、わざわざリスクのある場所で買う必要はない。 (現在は、心を改め(?!)ときどき買っている。オークションは失敗の確立が高いと割り切って買うことが大切で、失敗しても良い金額までしか入札しないことが大切だと思っている。)

◆間違いのポイント◆

勉強不足(実際に手にとった数)

「わかる」という思いこみ

掘り出し根性

◆救われたポイント◆

「今は無理」と思った時点でIDを削除。

◆教訓◆

謙虚にいつも勉強する姿勢でいること

自分は何年経っても「初心者」であることを忘れない



李朝徳利

楽しみにしていた大手のあつまる骨董祭のときのこと、入り口を入るとすぐに見覚えのある名前の骨董店のブースがあった。
東京の店ではないので、あまり良く知らないのだが、大手の骨董祭ということで、何の疑いもなくものを見ていた。
全部正しいと思い込んでいた。
そこに、一つ「李朝徳利」という札がある。
ほとんど無疵で、味わいがあるような雰囲気で手にすっぽり収まる丁度一合サイズだ。
粉青沙器の時代(李朝初期)だと札に書いてある。
店主の説明も李朝初期といっている。

そのときに、私自身は李朝をあまり勉強はしていない。図録や美術館でチラリと見ることはあったが、実際に触った数、買った数が少なく、幾らするものなのかも分かっていなかった。
しかし、値段をみると、私でも手の届く値段なのだ。
すぐに売約して、意気揚々としていた。

「あこがれの、李朝の徳利が手に入った!!」

ここで、李朝の相場についてだが、李朝の初期徳利というとピンキリの値段設定だ。一合サイズ、味わいのあるハダで景色が良いのであれば、百万は軽く超える。
三島手などは数十万でも手にはいるし、状態によってもさまざまだが、私の手のとどくといった、20万では手に入ることはまずない。
支払いがおわり、手もとに届いてみると、矢張りどうも違っていた。
国産である。時代は江戸後期といったところだろうか。
しかし、ニセモノとして作られたものではなく、真面目なものである。
ただ、写しなのだ。李朝の本歌ではなく、後世に悪意がなく作られた写し。
出雲のほうで、そのころ李朝の写しものを焼いていたという記録もあるし、写真でも確認してみたが、どうもそちらのほうが有力だ。
その後、そういう気持ちで李朝の徳利類を数みてみたが、矢張りハダが違う。
すぐに店に電話してみた。
「手もとに届いたのですが、これは李朝ですか?李朝初期のものですか?」
「はい、李朝初期ですよ。間違いないです。」
見解の相違というものはどうやってもぬぐえない。
それ以上は、どんな話をしても難しいということがわかり、李朝初期もどきの徳利は今も家にあるが、目の届かないところに置いてある。

◆間違いのポイント◆

李朝の勉強不足(実際に手にとった数)

値段の「常識」の認識不足

憧れ、掘り出し根性

◆救われたポイント◆

悪意で作られたものではなく、こちらの勘違いであり、
そうであるならば、値段は適正。

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