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心地よい寝不足**関西へその3***

関西へ行くときには是非お会いしたい知人がいる。何年かぶりに訪ねた。
以前お会いしたときには、お互いにある程度の距離感をもって話をしていたが、どうも今回は様子が違う。話せば話すほ遠慮という重ね着を一枚一枚めくってついには、夜明けまで話し通してしまった。知人という距離から友人へと変わり、どんな真剣な話をしていても大笑いが続く。相づちに無理がないから疲れを知らず、次から次へとよくもまあ話すことがあるものだ。
心地よい寝不足を実感しながら、次なる目的地丹波へと向かった。

2005年12月5日


人ごみ見物***関西へその2***

奈良駅に着いたころはお昼どきだった。
懐のいつも寂しい私でも気軽に食べることができるところを知人に聞く約束をしていたのに、聞き忘れたことを空いた腹が教えてくれた。
仕方がないのでこういうときはチェーン店に入る。全国展開?か、「なか卯」のうどんを食べてみたが、気のせいか東京のそれより美味しく感じる。
店を出てすぐに道を尋ねた。
バス代を節約しようと奈良国立博物館(以下奈良博)の道を通りすがりの女性にたずねると、とても歩いては行けないほど…と言われて意思がくじけたのでバスに乗る。
「人ごみを見に来たのですか」
バスに降り立つと、博物館とは反対側の看板に吸い込まれ、店主に言われた。
「おおた○」さんは、いつも東美のイベントに出店されているので、私の顔を覚えていらしたようで、旅の途中で荷物の多い私の格好をみて預かってくださるという。
いきなり店に伺ってそんなに図々しいことも…と遠慮する気持ちもあったが、博物館の前の入場前行列をみたら遠慮もしてられなくなった。
行列は思いのほか早くすすみ、碁石や毛氈、碁盤、螺鈿などをみる。ガラスの壺もなかなか良い。さすが宝物というものばかりだ。
あることに気がついた。
シカの角が展示してある。これはなんと良い形なんだろう、と惚けてみていた…あ、マメたたき。
人ごみをぬけ会場をでると、人になれ、角を切られたシカが芝生のあちこちに座っているさまが、観光地の光景らしく映った。

2005年11月29日


地方の人***関西へその1***

「あなた地方の人?」
神戸に到着して、身奇麗なご婦人に電車の往く方向を尋ねたら逆にたずねられた。
どうしたらよいか一瞬とまどったが、そのまちの中心に住んでなければきっと地方なんだろう。
「そうです、ここいらへんではないんです。」
と答えてみる。
「どこへゆくん?」
「奈良に…。」
というと、うれしそうに話し始めた。
「あそこはいま、正倉院展やってる。」
「それを見に行くとこなんですよ。」
「あれはいいね、あの碁石がいいわ。一つもってかえりたくなる」
お、これは結構すきな人かな、ここで頭をよぎった。
「そうですか、結構古いものお好きですか」
「すきよ〜。でもなんでも鑑定団?あんなんでみんなだまされとるけど、古いものも難しいからね」
「あの番組はそれを面白くしてみるようですね、どのようなものをあつめられてるんですか?」
「あつめるいうより、高いものこうてもしょうがないし地震もあるしなあ」
「…」
このような話になってしまってから、しまったと思う。

災害にあってないものが災害の話にへんに同情の言葉をかけるのも白々しい。
「ゆれるのは谷のほうがきついですか?」
「何処も一緒よ、くるときはくるから、正倉院みたいに預かっておいてくれれば、自分のものとおもって見に行けばいいのよ。たしかに山のほうがいいかもしれないけど、倒木にきをつけないと」
「とうぼく?」
「木が倒れるのが怖いね、山に住んでるの?」
そうか、木は根を張っているはずだが地面から攻撃されたら確かに文字通り「ねこそぎ」倒れるということだ。
「山は山ですが、あまり木はないかもしれないです」
「はげ山か?」
人が住むために木を切り倒し、山のくせに木も生えてないから確かに禿山だ。なんと不自然で悲しいことか。こんな何気ない会話のなかで自分の置かれているところに不自然さを感じてしまう。
しかし、皮肉にも笑えてしまう。それはご婦人のからっとして気取らないけれど品のよいリズムに呑み込まれているからだろう。
その後も談笑しながら、ご婦人は尼崎でおりていった。見えなくなるまで手をふってくれた。

2005年11月20日


益子の尺皿

「あ〜、今日出し忘れてたわ。」
とある骨董市で、物色しているとエアーパッキンに包まれた皿を開けようとしている。横目でチラリチラリと何だろうと様子をうかがいながら他のものを見る振りをしてその場所付近をウロウロしていると、黒っぽい皿が出てきた。
相手もこちらが民窯を物色しているのを意識して出してきたようなので、気にしないフリをしながら皿を見ると、・・・・なんとなかなか良い皿。
民窯の野暮ったさがなくモダンな益子の皿だった。
ズバリの金額もこちらの予算内であったので購入決定。益子のものはときおりちょっとセンスの光るものがあるので見逃せない。
そういえば以前もよい感じの湯飲み(向付)を買った覚えがある。
さほど古いものではないので、何処かの家にまだ眠っている可能性は大きい。

益子の尺皿
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2005年10月17日


竹節のハサミ

真っ黒なハサミ。折れそうな持ち手と、がりがりと削っただけで鉄の柄を竹節にみせている。なんでもないようなものだけど美しいはさみ。
こういったものに古いか?とかなんとか骨董臭い言葉は似合わない。
昭和だろうが、大正だろうが、明治?幕末?そんなことより、鋭く尖った刃と持ち手の味わいが面白いバランスなのだ。
名品めぐりのあとにみると、さらに好きになるから不思議だ。
はさみ
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2005年10月17日


買い物依存

しばらく骨董を買う予算を極端に低くしたり、我慢したりしているとフラストレーションがたまる。そのうえ、近日いつもなら喜んで出かけるイベントがあると思うと買えないつらさから当日までいやになるが、結果としては何かしら時間を作って出かける。
さて、ある知人との会話で、
「きょうは雨降ってるね。富岡八幡はやすみかな」
「あー第二の富岡ね、そうだねー少ないだろけど東郷だって結構降ってても出てる人はでてるでしょう」
「だよねえ。」
といって、しばらく他の会話をしていると、また
「富岡はきょうはやっぱり出ないよねー」
「…」
やはりイベントがある、行く、買う、のサイクルからは余程お金がなくならない限り抜けられない。
今度も東美でアートフェアがある。ひと月前かその前か忘れたがDMが来ていた。その字をみたとたん、嫌な季節になった…とひそかに思う。
露天は露天の面白さがあるが、アートフェアはまた違ったポイントで楽しいものがみられる。
骨董予算が極端にないため、現在とてもフラストレーションが溜まっている状態。しかしどこかで時間を作って出かけるだろう。
当日になると会場近くでなぜか早足にはなるだろうが、期待はずれを願うのだ。


2005年10月9日


白磁輪花ねじれ文様碗

李朝のやきもの、木のものなどはスピード感を感じるものが多いが、この碗もそんなスピード感のあるろくろ成形を感じるが、それとは反対にざくざくと輪花型にV字のカットを入、ぐりぐりとへらでねじれを彫った様子にぬくもりがあって面白い。よくみるとねじれも斜めに片切り彫り。
色はもうひとつスカッとしない。しかしこれはこれで良い。
白磁輪花ねじれ文様碗
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2005年10月6日

李朝白磁の好み

「中年のおばさんのお尻のようなだらしない垂れ方の壺がいいよね。」
って骨董屋さんと話してたら、
「やめてくださいよー、みるたびにそういうめでみちゃう」
でも、李朝白磁壺ってそういう妙になまなましい形が魅力的なんだと思う。
中期のたち壺や丸壺もいいけど、中年のおばさんのお尻(初期)もいろいろ表情があっていい。
若々しいまだはりがあるもの、ちょっと垂れ気味…いろいろだ。
無文で形を楽しむのには、それぞれ人の好みが出て面白い。
李朝の白磁に限らないが、どんなタイプが好きか聞いてみたい。
異性の好みをさりげなく訊くようで楽しいかと密かに思っている。
2005年10月3日

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